チカチカと点滅する携帯端末のサブディスプレイを目にとめ、沙鬼は思わず顔を顰めた。



「こんな時に・・」



 けれどその表情は送られてきたメールの内容を確認するや一変する。



「五分後だと!?」



 着たばかりの制服を脱ぎ捨て私服に袖を通し、ベッドの下から引き出した靴片手に窓枠を蹴る沙鬼の顔に迷いはなく、そこにあるのは無駄に広い敷地に対する軽い憤りだけだった。





 五分後に正門前。無理ならいい





 行かないという選択肢はない。
 拒否できるはずがないのだ。自分は彼女の所有物なのだから。



「クソッ」
「少しくらい遅れても彼女は待ってると思うよ?」
「それが嫌なんだ!」



 走るでもなく自分にただ憑いてくる煌[キラ]をめいっぱい睨み、沙鬼は駐輪場の柵を飛び越えた。



「(怖いなぁ)」



 風を切る沙鬼に正門まで憑いていくのも面倒で、一度彼女の内側に戻ると煌は小さくごちる。
 黙れ。と、自分にしか聞こえない声で沙鬼が唸った。



「(わかったよ)」



 指定された時間が物理的に無理である以上、言霊の姫巫女は遅れた沙鬼を決して責めないだろう。自分自身それが無理難題であるとわかっているから。
 けれど沙鬼は走る。自分が知る限り最短のコースを全速力で。



「ッ、――暁羽!」



 他でもない彼女の為に。










「ありがとう」
「っ」



 膝に手をつき荒い息を整える沙鬼の手を取り、暁羽はゆっくりと歩き出す。
 ほんの一瞬垣間見えたその瞳に沙鬼は息を呑んだ。嗚呼、だから、



(だから待たせるのは嫌なんだ・・)



 離れないようにしっかりと繋がれた手に自分からも力を込め、指と指とを絡ませあう。
 たとえどれほど無謀な命令であろうと、それが当然だと言わんばかりに堂々と立っていて欲しい。頼むから、頼むから自分が来た事に心底安堵するのはやめてくれ。



「暁羽」
「何?」
「・・・なんでもない」



 喉まで出かかった言葉は結局紡がれることなく消えた。



「ありがとう」



 きっとこいつは全部わかってやっているのだから、何も言ってやる必要はない。



「あぁ、」
「沙鬼は好きだよ。いつでも私の所に来てくれるから」
「あたりまえだろ」
「うん」



 態々古傷を抉るような趣味は自分も持ち合わせていないのだから。



「だからありがとう」



 少なくともこれからは、私がこの手を取ればいい。
 彼女が必要とするなら、いつでも、何度でも。



「あぁ」



 たとえ華月の代わりでも。






























「いいのか? 大切な姫巫女だろうに」



 下界の様子を写す水鏡の縁[フチ]を緋扇で軽く叩き、卑弥呼は視線を下に落としたまま来訪者に向け口を開いた。
 いいさ。類稀な銀糸を確かめるように掻き上げ華月は目を細める。



「そろそろ俺なしで会いに行ってもいい頃だろ?」



 それに呼び出しておいてよく言う。



「朝まで付きっ切りだった輩の台詞ではないな」
「見てたのか。・・覗きなんて悪趣味だな」
「今更だろう」



 クツクツとさもおかしそうに喉を鳴らし卑弥呼は緋扇で口元を覆った。



「気が向けば、帰ってきてもよいのだぞ?」



 その冗談にしても性質[タチ]の悪い台詞に華月は首を振る。



(あの時と比べると信じられん穏やかさだな)



 パチリ。と、弄ぶ緋扇が音を立て閉じた。



「俺は下界で生きるよ。――儚い生を幾度となく繰り返すのも悪くはないと、今も変わらず思っているから」
「・・・そうか」



 神暦1年が終わりを迎え、神々のみの世界が終わりを告げようとしていたあの時、この場所で、かつての華月は天照をその手にかけた。



「銀が戻ってくるまで酒でも飲むか? 一人では、どうも味気なくて仕方ない」
「暁羽、だ」
「おお、そうだった」



 確かにそれは罪なのだろう。天照の血を浴び穢れた華月は死に、二度と神として生まれ変わる事はなかった。
 けれどその行為がなければ高天原、出雲、倭の三界からなる今の世は生まれず、人間[ヒト]と呼ばれる神とは異なる命が生まれることもなかった。



「最近物忘れが激しくてな」
「言ってろ」



 改めて礼を言おうか、華月。
 言葉にしようものなら「何を今更」と言われかねないから、胸の内でこっそりと。



「本当にお前は容赦ない」



 ありがとう。



「まぁ、それでこそだがな」



 理由など、それこそ今更だ。