濡れたように黒い闇が広がっていた。 漆黒の夜。駆ける銀狼が、風を裂き地を抉る。 『鎌鼬』 それを追う影が一つ。 放たれた言葉はそのまま力となって発現し、木々を縫う銀狼に襲い掛かった。 咆哮。 「――チッ」 俊敏な銀狼[エモノ]を追う影[ハンター]は鋭く舌打ちする。 風が捉えたのは罪もない木々と大地ばかりで、望む結果は得られなかった。 「分が悪いにも程がある」 雲一つない空を恨めしげに見上げながら溜息一つ、暁羽[アキハ]は目を閉じる。 程なく力の抜けた体がベンチの背凭れを滑り落ち、黒く長い髪が瞼越しの光を遮った。 握っていた端末も、倒れた拍子に手を離れる。 「――遅い」 打ち捨てられたそれ拾おうとした華月[カゲツ]は、依然目を閉じたままの暁羽と足元の端末とを見比べ、悪びれもせず肩を竦めた。 「ヴォワテュールは?」 「海の中」 「いつから外に?」 「ついさっき」 「寝起きかよ」 呆れ混じりの声を上げた華月を睥睨し、気だるそうに起き上がった暁羽が手を伸ばす。 その手に端末を持たせ、華月は改めて周囲を見渡した。 「気配が消えたな」 海沿いに作られた遊歩道は、緩やかに曲りながら街路樹の向こうに消えている。この島は居住区でないから、滅多に人が通ることはない。なのにどこを見ても荒れた様子がないのは、この島の属する地域が「伊岐[イキ]」であるからだろう。絵に描いたような風景は、伊岐に最も多い「言霊[コトダマ]」の能力者が好む所だ。 「この島に追い込んだのはいいけど、これからどうするの?」 「どうするったって、言霊効かないんじゃどうしようもないだろ」 「・・・まさか策もなく私を待たせてたの?」 「どうするにしたって、あちこち逃げ回られたんじゃ鬱陶しいだろ。ここはまだいいけど、隣の隠伎[オキ]にでも逃げ込まれたら後々面倒だ」 「・・いっそそのまま古備[コビ]まで行ってくれれば、あっちで何とかするんじゃない? 逃げてるの妖狼[ヨウロウ]なんでしょ」 「言霊の効かない@d狼じゃ、どうしようもないだろ」 「言霊が効かないなら、それしかとりえのない華月に任せるのもどうかと思うけど」 「ほんとにな」 「・・・・私がどうにかするにしたって、その妖狼を連れて来てくれないと・・」 「分かってるよ」 華月もまた、想像を言葉として放ち力を発現させる言霊の能力者。「言霊の巫女」と呼ばれる、言わずと知れた本家の重鎮だ。その力は言霊一族の当主すら容易く従わせる程のもので、一族は何をするにも華月の意向を窺わなければならない。 「だから態々こんな所に追い込んだんだろ」 「・・・捕まえられなかっただけのくせに」 「あのな・・」 そんな、言霊一族きっての能力者の言葉にさえ従わない妖狼。 「でも、ここの結界もそう長くは持たせられない」 「・・・どれくらいなら持つ?」 「苦しい思いをしたくないなら日没までに捕まえないとね。日が沈んだら卑弥呼[ヒミコ]の力も弱まるから」 「なんだよ、あいつの力借りて結界張ったのか? お前だけでも十分張れるようにしといただろ」 「ここは秋津[アキツ]との境だから介入されたの」 「厄介ごと押し付けたから気でも使ったのか? ・・あいつがそういうことすると気持ち悪くて仕方ない」 「そう?」 「お前はいいよ、いっつもそういうのは俺に回ってくるんだから」 この国を治める卑弥呼が危険だと、野放してはならないと断じたそれは、例えどんな手を使ったとしても、命令通り生け捕りにしなければならない。 卑弥呼は暁羽が手を貸すことを見越した上で華月に命じたのであろうが、そういう理由で幾度となく厄介ごとを押し付けられてきた華月は、心底鬱陶しそうに舌打ちした。 「さっさと終わらせるか」 その姿が変貌する。 「策はないんでしょ?」 毛先の揃わない黒髪は青みがかった銀へと色を変え、背を覆い、それに伴い漆黒の双眸も色を変えた。 「華月」としての容姿によって封じられていた絶大な力が、「言霊の巫女」への変貌によって解放される。 「しらみつぶし、かな」 あまりに頼りない華月の言葉に、それしか手がないと知りつつ暁羽は嘆息した。 「最低」 |